福井の歴史と文化(1)
株式会社 勝山剣光堂 2012年08月29日
福井の歴史と文化 その1
日本刀のカテゴリーの中に「越前刀」という分類が存在します。
はい!そうなんです!
実は福井は江戸時代、日本刀の名産地だったんです。
意外と知られていない福井の側面です。
きっと武生の打ち刃物はみなさん周知のとおりですが、それはあくまで府中武生の打ち刃物であり、刀剣ではないのです。
よく勘違いされる部分です。
なんと!福井の名産品に日本刀があったなんて・・・ちょっと驚きませんか?
越前国(嶺北)北の庄(福井市)は戦国時代の柴田勝家居城で城下町と治水工事が始まりました。
それまでの福井市内は”藤島の灯明寺畷”という湿地帯だったわけです。
灯明寺は古くからあって、その傍には源義貞(新田義貞)の没した新田塚があった程度でしょうか。
あ、あと古墳群もたくさんあったかな。
要するに足羽川と九頭竜川に挟まれていて河川の氾濫による湿地帯はまだまだ未開拓地だったんです。
一乗朝倉に続いて勝家没後、結城秀康が越前国80万石を任され福居城(福井城)を建立するとき、各地から多くの人がこの福井に集まってきたといわれています。
福井市中心部の歴史はたったの400年ちょい、ということになります。まだまだ若いね!
この越前に福居城が置かれた本来の目的は・・・・
なぜ越前刀が名産となったのか・・・・次号の“その2”で書きます。(注1)
ちょっと変わった側面から福井をアピールしたいと思いシリーズ化して行こうかな。と、UPしました。
文面が重いので、フェイスブックには向かないかもしれませんが、福井マニアのご意見などお待ちしております。
きっかけを作ってくださった[4字削除]さんに感謝!
出典
https://www.facebook.com/KENKODO.biz/ {at}
注
- 「その2」は存在が確認できず、次はいきなり「シリーズその3」となっている。「なぜ越前刀が名産となったのか・・・・について」という副題がついているので、それが「その2」だと考えていいのだろう。しかし、越前ガニや越前ソバではあるまいし、今から150年以上も前に生産が終了している越前新刀を地域名産品のカテゴリーに含めることには、いろいろな意味で無理がありそうだ。勝山がこういうことを言い出した背景には、おそらく地域おこしの盛り上がりがあるのだろう。それに便乗して自分が持っている価値の低い刀を越前新刀として販売しようと考えたのではないか。「福井の歴史と文化(2)」の注7を参照されたい。
括弧・略号
{ } アーカイブ
at archive.today