福井の歴史から封印された、将軍家より葵紋の使用を許された越前刀工と刀鍛冶集団の歴史。
ターミナルホテルフクイ 2012年09月06日
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フクブクロ。
今回の写真とお話は、全て福井市の勝山剣光堂の刀剣鑑定士(注1)勝山智充さまからのものです。(を、福刀自なりに理解)
では。
江戸時代福井は、南西は京都、北は加賀の前田家という訳で、北陸道の軍事的政治的「関所」の役割をになう大事な場所だったのです。
そのため徳川家康の息子結城秀康は、福居城下にどんどん鍛冶職人や治水工事専門集団を各国から集めました。
そんな中でも、士農工商の身分制度の中においても、刀匠は、苗字・禄高・人扶養扶持を与えられるまでに。
天皇筋にちかい山城国の堀川門下で菊紋を許された刀工と、将軍家より葵の紋の使用を許された刀工がどちらもいるのは越前福井だけだったそうです。
が、江戸初期から末期まで分かっているだけでも600人いた越前刀鍛冶集団は表舞台にでる事は一切なく研究材料としての文献は皆無に等しく、かなりのセキュリティーで秘められていた事が推定されます。
今でも福井県外から名刀を求めてこられる方がおられる程ながら、何故か福井の人にはほとんど知られていないとの事。
いやー、福刀自も全く知りませんでした!学校の郷土の歴史からも消されている歴史、のようです。そういう意味ではセキュリティーは違う意味で今も守られているのかも。(これが和紙や漆だったら違ったのでしょうが。)正確なこと詳しい事は美術刀剣を取り扱う勝山剣光堂さんのネットでお調べくださいませ。(福刀自は付け刃ですので。) では、また。
出典
http://terminalhotel-fukui.co.jp/news/detail/index.php?326 {at; at, wm}
注
- 「刀剣鑑定士」は自称である。そのような資格があるわけではない。なお、全国刀剣商業協同組合による「刀剣評価鑑定士」の第1回検定試験が2019年4月17日に実施された。勝山剣光堂事件が最初に新聞で報じられてから3年後のことだ。あくまで民間資格であり、何らかの権限を認めるものではないが、無知な所有者から文化財を保護すると称して勝山智充が刀剣の横領を繰り返したことが、新資格創設の動機の一部となった可能性はある。ちなみにフェイスブックの「勝山智充(剣光堂)」のページは勝山智充の実刑確定後、大幅に書き換えられたが、職歴欄には「文化財保護」の項目が新たに設けられた。今なお過去の行いを反省することなく、文化財の専門家を装って骨董品の詐取と転売を繰り返す姿勢を世の中に示していることになる。
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