毎日新聞が「世界的スクープ」と自賛した「幻のレンブラント」報道のお粗末
週刊朝日 2007年07月20日号(2007年07月10日発売)
毎日新聞(大阪版)が朝刊1面トップで、「幻のレンブラン卜」と大見出しをつけた「スクープ記事」を掲載したのは今年3月16日のこと。なんと、17世紀の画家レンブラン卜が描いた可能性のある作品が大阪で見つかったというのだ。だが、毎日新聞が「世界的スクープ」と自賛する記事にはほころびがあった。
九州の会社経営者A氏は3月16日の毎日新聞の朝刊を読んで仰天した。
「私が預けた絵が、新聞の1面に載っていました。しかも、絵を預けた人の『父親の遺品』として見つかったという記事です。毎日新聞はなぜ、もっとよく調査しなかったのでしょうか」
記事はこうなっていた。
〈オランダ最高の画家とされるレンブラント本人が描いた可能性のある「黄金の兜の男」という作品を、大阪市の会社社長が所蔵していることが15日分かった。油彩画修復の第一人者で、美術史家の黒江光彦・元国立西洋美術館主任研究官が鑑定した〉
そして、この絵が「大阪の社長」の手元にある理由について、こう書かれていた。
〈社長が昨秋、亡くなった父親のコレクションを整理していて偶然見つけ……〉
だが、A氏は、
「私が20年ほど前に画商から7億円相当で購入した絵です。もともとは長崎にやってくる船の貴賓室に飾ってあったのを、医師が買い取り、その医師から画商が買ったと聞きました」
と語るのだ。
うさんくさいと報じない記者も
毎日新聞報道の4日後の20日、記事で「所蔵者」とされた大阪の建設会社会長のB氏とその長男、鑑定した黒江氏の3人が、大阪のホテルで記者会見を開いた。
この席で黒江氏らは、絵を特殊暗視カメラで観察した結果、兜の右側の影になった部分の絵の具の下に、「ペンティメント(描き直し)」と呼ばれる、描きかけて途中でやめたキリスト像らしきものが発見されたことを明かし、「構図変更ができたのは、オリジナル制作者だから」と真作の可能性が高い根拠とした。
この会見内容を毎日新聞や読売新聞、NHK、共同通信などのメディアが報じ
「世紀の大発見の可能性」
は、全国に伝えられた。なかでも毎日新聞の記事は、
〈今月16日の每日新聞で初めて報道された〉
とスクープを強調。さらに3月28日付の大阪版紙面では、大阪社会部デスクがコラムで、
〈レンブラントの真作とみられる作品に関する記者会見の記事を、大きく扱ってもらう。T記者が16日朝刊1面でスクープしたものだ。〈略〉取材を終えて社会部に上がってきたT記者を、同僚らが「世界的スクープ」とはやしたてる〉
と自画自賛している。
だが、B氏らの会見に出席しながら、報じていないメディアもある。ある地元紙記者はこう話す。
「ホテルの会見場にはガードマンが並び、物々しい雰囲気でした。うちはボツにしました。見るからにうさんくさかったし、記者会見で配られたリポートは、とてもじゃないけど客観的な調査と言えるしろものではなかったからです」
この記者会見をB氏の会社はDVDに録画して関係者に配っている。このDVDを見ると、「絵の来歴について所蔵者の方からうかがいたい」と報道陣から質問されたB氏は、
「黙秘。黙秘です」
と言葉少なに答えている。記者会見で「黙秘」とは、違和感のある言葉だ。
鑑定した黒江氏は東京大学大学院を修了後、59年から72年まで国立西洋美術館に学芸員として勤務。93年に東北芸術工科大学芸術学部教授に就任し、7年前に退職した人物だ。
黒江氏によると、そもそもの始まりは、九州在住のA氏が昨年3月、黒江氏にこの絵の鑑定を依頼したことだった。
真作に近いと判断した黒江氏は、鑑定依頼から約1年後の今年2月、A氏を再訪した。その後、黒江氏がA氏をB氏のもとに連れていき、今年2月28日、B氏はA氏に不動産を担保に1千万円を貸した。
A氏によると、ここからB氏の行動は迅速だった。
「Bさんはすぐに九州に来ました。絵を見せると、手を合わせて般若心経を唱えだしました。そして『絵を預からせてほしい』と言うんです。最初は断ったのですが、黒江先生まで『絵を預からせてほしい』と言うので、先生を信用してお渡ししたんです」
絵はB氏の長男が車に積んで大阪に持ち去った。このとき、B氏が3月1日付で書いた一枚の「預り書」がある。次のような内容だ。
〈絵画1点、Bがお預かりしました。絵画は私が責任を持って売却することを約束いたします。売却期限は3月15日とし、それ以降になる場合は、一月あたりのペナルティーを納めることとする〉
「預り書」によると、B氏は絵を預かり、売却先を探したわけだ。だが、
「Bさんはお客を探しあぐねた。3月15日の期限は守れなかった」(黒江氏)
毎日新聞がB氏に取材した記事を掲載したのが、期限翌日の3月16日。後日、A氏がB氏の会社に行くと、こんな光景があった。
「受付に毎日新聞がどっさり積まれていました。毎日は絵を売る宣伝用に踊らされたんじゃないですか」
その後、B氏は4月中旬、A氏に対してさらに300万円を渡した。
「Bさんは絵を50億円、100億円で売るとか、大きなことを言っていましたが、売れなかった。私が返却を求めると、Bさんは『貸した計1300万円を返したらレンブラントを返す』と言うんです。それで4月25日に1300万円の現金を工面してBさんの会社に行きましたが、今度は『返さない』と拒絶されました」(A氏)
このため、A氏は弁護士に相談し、大阪地裁にB氏に対して絵の転売を禁止する仮処分を求め、5月2日に決定が出た。絵画はいったん執行官が保管するというものだったため、大阪地裁の執行官と弁護士がB氏の会社に行き、2度にわたって絵画の引き渡しを求めたが、B氏は、
「急病で寝込んでいるので、絵画の今日明日の提出は物理的に不可能」
などと答えたという。
そこで、A氏の弁護士が本訴を提起してすべてを報道機関に公表するという構えをみせたところ、B氏は5月17日になって、1500万円と引き換えに絵画を返してきたのだという。
つまり、B氏の手元にこの絵画があったのは3月1日から5月17日までの78日間だけだったのだ。
毎日新聞は「B氏が所蔵」と書いたが、会見に出ていた黒江氏はこう話す。
「今もあの絵の所有者はAさんです。毎日新聞は嘘をつかれたといいますか、取材が徹底してないといいますか……。Bさんにとってみれば販売政策上の嘘みたいなもんなんでしょう。毎日は最初の1面トップの記事の段階では、まだ勇み足でした。ペンティメントが見つからなかったらぺテンでしたよ」
黒江氏に真作の可能性は高いかと聞くと、自信たっぶりに、「95%、その可能性があります」と言った。ただし、オランダにはレンブラント絵画の権威である「レンブラント調査委員会」があり、そこで絵の評価を受ける話も一時はあったのに、取りやめになったという。
「オランダに最低半年間は預けなければならない。保険料で1千万円はかかり、それだけの経費をかけて『ペンティメントではない』と言われたらどうしようということになったし、真作と認定されたら、オランダから返ってこなくなる可能性もある」
「父の遺品とは言っていない」
黒江氏はB氏の管理する3階建ての一軒家に6月上旬まで約3カ月間住んでいた。黒江氏が絵の鑑定のために神奈川県の住居から大阪市内に一時的に移転した際の住居の面倒をみたのがB氏だったわけだ。
「絵が売れたら、大阪の一軒家はBさんからもらえるものと思ってました。Bさんからは、絵のお客さんが来るたびに、説明をしてほしいと呼ばれ、販売のお手伝いをしていました。食事はほとんど自炊ですよ。Bさんのクレジット力ードを使わせてもらっていましたが、スーパーで食料品や下着などの必需品を買うときに使っていただけで、高額なものは買っていません」
鑑定料については、
「絵画が売れたときには利益の5%を成功報酬としていただける話になっていました。今のところ、何のもうけもありません」
では、B氏とはどういう人物か。B氏が育った郷里の和歌山県で、知人がこう話した。
「Bは若いころ、悪徳商法で知られ、会長が刺殺された豊田商事グループに勤務していたと聞きました。彼の父親は2年ほど前に亡くなりましたが、絵画の趣味も財産もなかった。レンブラントを所蔵していたなんてことは絶対にない」
B氏には、約10年前、手形詐欺事件にかかわり、逮捕・起訴された過去があった。当時の毎日新聞(98年10月9日付)はこう報じている。
〈福井地検は不正に裏書きした約束手形で大阪市内の金融機関から現金7849万円をだまし取ったとして、元日本通運支店長(54)と、建設会社経営の暴力団幹部B(37)=服役中=を有価証券虚偽記入・同行使罪と詐欺罪で福井地裁に起訴した〉(傍点は編集部)
暴力団幹部だったと報じられたB氏に取材を申し込むと、「大阪から和歌山までの移動の車の中でなら」という条件で応じてくれた。高速道路を突っ走る車の後部座席でB氏に話を聞いた。
「私は霊感が強いというか、たとえば20回連続で宝くじが当たるような運のいい男なんです」
とB氏は自分を語り、
「あの絵を私の部屋に置いて、毎日20分くらい般若心経を唱えてました。モデルとなった人物はレンブラントの兄と言われていますが、私にそっくりなんです」
驚いたことに、ペンティメントを見つけたのは黒江氏ではなく、B氏だという。
「私はまず最初に、暗視カメラで右下のサインを見つけました。それから、まだ何かあるはずだと思い、兜の部分を見て、キリストを発見したんです。すぐに黒江先生のところに知らせに行きました」
「父の遺品」と報じられたことについて聞くと、
「私は一言も父の遺品と言ってません。記者会見でも『黙秘』と言いました」
と語るが、毎日新聞の記事は気に入っているようだ。
「記事の反響は大きかったですよ。日本だけでなくヨーロッパの反響がすごかった。フランス、オランダなどから見せてくれと問い合わせがありました」
黒江氏への報酬については、「黒江先生が書いた鑑定書の料金は支払いました」と言う。
また、絵と交換にA氏側から1500万円を受け取ったことは認め、
「執行官の仮処分に引き下がったのは、私の無念なんかどうでもいい、絵が大事だという男気です」
と語る。絵の所有者について聞くと、こうだ。
「あの絵は地球上どこへ行っても、私が所有している。絵画は登記しようのないものですし、これだけ有名な形で私はデビューしているんです。人間の脳みそに、インターネットを通じても知られている。世界中の人がそう思っているわけです。あの絵は今、私が持ってます。あの絵は私がルーブル(美術館)に入れてやりたいんです」
「詐欺の記事を消してほしい」
「逮捕されましたが、不安と恐怖と闘い通した、そんな男です。最後は『詐欺罪』では無罪を勝ち取りましたが、『背任罪』では有罪となり、3年の実刑判決になりました。未決 勾留期間もあったので5年間勾留され、2千万円払って保釈で出てきました。そんなことを書かないでください」
だんだん興奮してきたB氏は、記者がメモしていたノートをピリビリに引きちぎった。さらにその場で 毎日新聞のレンブラントの記事を書いた記者に電話し、こんな注文をつけ始めた。
「私は無罪だったのに、記事検索でいまだに毎日新聞の詐欺罪の記事が出てくるんですよ。お願いします。消してください。ちょっと夜中に忍び込んで、パチパチとパソコンをたたいて消してくれませんか」
レンブラントの専門家にこの騒動について聞いたところ、「絵画を見ていないので、感想ですが」と前置きしたうえで、こう話した。
「絵の真贋に来歴というのは非常に重要。海のものとも山のものともわからない今の段階で、来歴に偽りがあるというのは論外です」
レンブラントは人気があるだけに、弟子たちや同時代に描かれた模写も多い。
「『黄金の兜の男』はべルリン国立絵画館にもありますが、レンブラント本人の作品ではないと結論づけられた。この時点で、『黄金の兜の男』の図柄をレンブラント本人が描いたのかどうかもわからなくなりました。日本にオリジナルがあったらと考えるだけでロマンがありますが、所蔵者がもっと絵を公にして、レンブラント研究者を集めてプロジェクトを組むなど、何とかしようよというのが本来の姿ではないでしょうか」
毎日新聞に、「記事は事実と違うのではないか」などと質問すると、若菜英晴・毎日新聞大阪本社社会部長が、文書でこう回答してきた。
「B氏ほか関係者からの取材、B氏の記者会見発言をもとに記事にしたものです。実際の所有権は明らかではありませんが、現に占有していたのがB氏であり、『所蔵している』との説明を受けたのは間違いありません」
毎日新聞は紙面で記事の訂正をしていない(7月7日現在)。だが、この記事は、多くの美術愛好家や研究者に誤解や混乱を招く結果となったのである。
出典
『週刊朝日』2007年07月20日号(第112巻第36号通巻4828号、2007年07月10日発売)128〜131ページ。強調は勝山剣光堂ニュース。
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- 「新聞報道の意義 本紙記者が説明 太子高で出前授業」毎日新聞、2013年09月19日 {kn}
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